スタッフ紹介
スタッフ紹介
当院は、地域No.1の接遇「明るく元気に、親切、ていねい」を信条とし、地域で最も愛される接骨院を目指しています。
当院のスタッフは、全員国家資格を保有しています。また社内研修を実施し、全スタッフが常に技術の向上に努めております。
患者様に笑顔になっていただけるよう、心を込めて施術いたします。
ご来院お待ちしております。
-
明るく元気
- 前川 裕月(まえかわ ゆづき)
- 施術スタッフ
-
出身地:静岡県磐田市
血液型:O型
趣味・特技:ゲーム - 地域のみなさまへ明るく元気なスタッフ一同でお迎えさせて頂きます。お身体の状態に合わせてどのような施術が大切になるかしっかり説明させて頂きます。お身体にお悩みがある方は是非一度足をお運びください。
施術家になるまでの自分学生時代にサッカーをしていたのですが膝や腰などとにかく怪我をすることが多く満足にプレー出来なかったことをよく覚えています。当時の私は時間が経てばまたプレーできるようになると思っており必要な身体のケアを怠っていました。痛い事を我慢しながらプレーをしていた事も一度や二度とではありません。あの頃もっとしっかり自分の身体のことを考えていればもっと気持ちよくサッカーができたのではないかと思うことも多々あります。そして学生時代に部活を引退してから接骨院と言った身体を治していくための場所について知りました。現役時代に通いたかったと思いました。私自身にこのような後悔があるので他の方達には私のような思いをしてほしくはないと思い接骨院で働きたいと思うようになりました。接骨院を知っていく中でスポーツをしている学生だけでなく生活の中でお身体を痛めた方も多く通われていることを知り身体にお悩みを持つ方を施術し、一人でも多くの方に身体の痛みを無くして健康に過ごしてもらいたいと思うようになりました。身体の痛みが無くなればスポーツから日常生活までこの動きが痛いや、あの動きはしたくないなど行動の制限がされてしまうことが無くなるので自然と生活のストレスが減るので可能な限り多くの方の力になりたいと思いました。
新人・修行時代の自分研修が始まった頃は地元の静岡から出てきたばかりで仕事だけではなく私生活でも右も左もわからない状態で毎日大変だと思っていた事をよく覚えています。 仕事については、施術の技術がなかなか向上しなくて苦労しました。先輩の先生方には「下手だなぁ」や、「もっと練習しよう」と毎日のように言われました。心が折れそうになったこともありましたが、毎日練習に付き合って頂き改善点や、修正するポイントをいつも的確に教えてくださった先輩の先生方のお陰で少しづつではありますが上達していくことができました。一度に覚えいかなくてはならない施術の種類も多く間違えずに覚えていくことに苦労しました。特に指圧の施術はなかなか上達出来ずに悔しく、特に練習に励みました。はじめは自分の指が圧に耐えられず毎日指の腹が内出血してしまい青くなっていました。親指の付け根の関節も痛みが酷く毎日痛みを抑えるため冷やしていた事を覚えています。今では痛むことは無いので当時可能な限り練習に励んで良かったです。もちろん指圧の施術以外の施術も毎日可能な限り練習できるように時間を見つけては先輩の先生にお願いして練習に付き合ってもらっていました。これからも練習を怠らずご来院される方々のお身体をより良く変えていけるよう努力していきます。
-
ここに来れば健康と元気と笑顔に!!
- 松浦 希莉(まつうら きり)
-
出身地:宮城県名取市
血液型:O型
趣味・特技:ドライブ、音楽鑑賞、寝る
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへ地域の皆様!皆様に健康と元気とパワーをお届けします!皆様のお身体の悩みだけでなく、心のお悩みも施術できるような先生になれるよう、他の先生方のお力も借りながら成長して参ります!!私の成長をぜひ見届けてください!!
施術家になるまでの自分私は中学生の頃に施術家になりたいと思うようになりました。私は中学で陸上部に所属していました。その時は痛める場所が多く、先輩の勧めで初めて近くの接骨院に行きました。そこの先生は親身になって私の話を聞いて下さり、何故こうなってしまっているのか、こうならないためにはこうするといい、など予防法なども教えてくらながら治療をして頂きました。先生は趣味の話だったり、悩んでいることも聞いてくれたり、面白い話もたくさんして下さって、安心して施術を受けることができました。何回かその院に通うようになって、だんだんと症状も治り、部活の練習も全力で打ち込めるようになりました。「走っても痛くない!」その時はとても嬉しかったです。先生は、「希莉ちゃんが治療を頑張ったからだよ」と言ってくれました。私は先生に感謝でいっぱいだったのに、先生は私のことをたくさん褒めてくれました。先生は私が辛い時にはすぐ気付いてくれて、すぐに話を聞いてくれました。日常会話も面白く楽しませてくれる、そして治療技術も高く、どんどん私の身体を良い状態に持っていってくれた、そんな先生に憧れを抱きました。私も心身共に治すことのできる施術家になりたいと思うようになりました。そこから、私はたくさんの勉強をしました。今思うとあの時たくさん勉強して良かったなと思います。人は夢があったら、どんなに辛くてもそこに向かって、努力し続けられるんだなぁと自分で思いました。そして、施術家になった今、初心を忘れず、学び続けていきます。
新人・修行時代の自分新人は常に学ぶことに貪欲でなければと思っています。研修中はわからないことが多く、何をしたら良いか、どうすれば良いのかなど、常に自分に余裕がありませんでした。わからないことや困ったことがあった時、他の先生に聞くべきですが、聞きすぎると嫌がられるかなぁなど、そこを心配してしまっていました。でもそれは間違いで、聞かずに失敗するよりは、わからないことは聞いた方が断然いいと言うことに気付きました。1日1日、少しずつでいいからできることを増やしていこう、そう思いながら乗り越えていました。朝早く来ての練習だったり夜練だったりと、先生方を捕まえて練習に付き合ってもらっていました。常に学ぼうとする姿勢が大切だと本当に思います。小さな積み重ねがやがて大きな成功に繋がると信じて日々学び続けています。まだまだ、学ばなければいけないことは多いです。技術や、患者様への対応だったり、考え方だったり。自分に足りないところはたくさんあるので、他の先生方の良いところをたくさん見つけて、それを吸収し、自分にプラスしていきます。どこの新人も最初は不安でたくさんつまずくことがあると思います、でもそれはみんな通る道だと思うので、注意されることを悔やむのではなく、むしろ嬉しいことだと思って成長できると思って何事にもチャレンジしていきます。
-
スタッフが明るく、通いやすい接骨院
- 村上 里緒夏(むらかみ りおな)
-
出身地:北海道雨竜郡
血液型:O型
趣味・特技:ゲーム、お絵描き
資格:鍼師 - 地域のみなさまへ当院は女性スタッフが多数在籍しているため、男性の先生だと怖いイメージを持っている女性の方でも安心して通うことができます。また様々な症状にあったメニューもご用意していますので、お身体でお悩みの方は気軽にご相談下さい。一緒に心身共に健康な身体を目指して行きましょう。
施術家になるまでの自分私は小さい頃から身体が弱く、よく病院へ通っていました。その時に看護師さんにお世話になり、子供ながらに人の役に立てる看護師さんみたいな仕事に就きたいと思っていました。そしていざ高校生になった私は、勉強が苦手で、進路を決める時期には、看護師を目指すことは難しかったため、別の仕事で人の身体の役に立てる仕事がないか探し始めました。私はよく祖母や母の肩もみをしていて、やった後に喜んで貰うことが好きだったため、そういう仕事がないか探していたところ、柔道整復師という職業をみつけて、気になりオープンキャンパスに行きました。その学校には柔道整復師の学科以外にも鍼灸師の学科がありました。元々曽祖父が鍼灸師をやっていたため鍼灸師の存在は知っていたのですが、改めてオープンキャンパスで鍼灸の体験をしてみた所、鍼灸師の痛み以外の自律神経にもアプローチできることやツボの効果の魅力を知り、柔道整復師よりも鍼灸師になりたいと思い、高校卒業後は鍼灸の専門学校に通い始めました。通い始めた3年間から国試まではあっというまでしたが、物凄く大変でした。授業はお昼から始まるのですが、朝学校が開く8 時から学校へ行き授業が始まるまで自習室で勉強し、授業が終わった後は夜の22時まで残りひたすら自習という生活を繰り返していました。その甲斐あってか国家試験は無事合格しました。学生の時は地元から離れ札幌で暮らしていましたが、札幌に住んでみて、札幌よりも都会で経験を積みたいという気持ちが大きくなりこの会社に入社しました。
新人・修行時代の自分入社して1ヶ月は本社で研修を行いました。施術家としての考え方や様々な技術練習で毎日、頭が混乱していました。研修中は研修先の先生や同期にマッサージや他の施術を受けてもらい、技術を磨いていました。研修後の配属先では中々、施術に入らせてもらえず、毎日先輩や院長に、帰りや空き時間を使って技術チェックをして貰っていました。また会社で行っている技術勉強会が週に3回行われていて、技術と知識をいち早く習得するために、必ず毎回参加するよう、徹底していました。その甲斐もあってか、他の同期よりは少し遅めでしたが施術デビューを果たすことができました。初めて施術に入らせてもらった時は物凄く緊張しましたし、不安でした。きっと患者様にも伝わっていたと思います。ですが今では不安な気持ちも自信に変わり、患者様から「ありがとう」や「凄く楽になりました」などのお声を頂けるようになりました。あの時、沢山練習に付き合って下さった先輩と同期に物凄く感謝しています。また早朝勉強会という考え方を身に付ける勉強会も毎朝、毎日参加していました。今でも休みの日以外は毎日参加し、日々施術家としての考え方を学んでいます。正直、現在もまだまだ修行時代です。知識も技術もまだまだ高められる部分があるため、日々の勉強と技術練習を怠らず、寄り良い施術を提供するために、これからも精進して参ります。
-
とにかく明るく、元気で健康第一!
- 諸星 地優(もろほし じゅう)
-
出身地:北海道苫小牧市
血液型:A型
趣味・特技:映画鑑賞、漫画を読むこと
- 地域のみなさまへお身体にお悩みがある方、気になる方、相談だけでもいいので当院に足をお運びください。 身体のことから心の傷まで皆様が快適に日常生活を送れるようにサポートします! 当院へのご来院、心よりお待ちしております!
施術家になるまでの自分この仕事をしようと思ったきっかけが2つあり、1つ目は学生時代にやっていたバスケットボールで身体を痛めた際に整骨院で診てもらったことが1つのきっかけです。私は小学2年から専門学生まで約13年バスケットボールに打ち込んでいました。試合中に足を捻挫など色々と怪我をする度に整骨院に通い、怪我の痛みで不安になっていた私の身体と心のケアまでしてもらい帰る時には不安は無くなっていました。整骨院に通ったおかげで大会では普段通りのパフォーマンスを発揮でき試合に勝てたことを覚えています。この身体のケアだけではなく心のサポートまでしてくれる仕事を自分で体感し、憧れを持ちました。もうひとつの理由は母親の仕事の影響です。私の母親は長年人と携わる仕事をしていてその姿を見て来ました。仕事に対する取り組み方や人と触れ合っている姿を見て自分も似たような仕事をしたいと思うようになりました。そして私も人に携わる仕事がしたいと思った時に学生時代に身体を良くしてもらったことを改めて思い出し、私も身体に悩みを持っている方に同じような形で身体と心のケアをし、笑顔で帰ってもらえるような仕事をしたいと思い、この会社に入社しました。
新人・修行時代の自分この会社に入社し、まず初めに周りを見た際に同期の数に驚きました。この大人数の中で自分は生きていけるかどうかを不安に思いながらも研修が始まりました。最初は課題や覚えることが多く、目の前のことに必死になって練習したり仲間と切磋琢磨し、工夫をしながら研修を行いました。研修が進むにつれて同期の先生が結果を出し続けている中で焦りも出てきましたが自分に今できることや必要なことをその都度考えて導き出し、院長先生や、先輩の先生方、同期の先生に付き合ってもらい練習を重ね、試行錯誤をし続けて最初はできずに苦手としていた施術でできることがどんどん増えていった喜びを鮮明に覚えています。 研修が終わり、それぞれ配属先の院に行くことになり私は元々研修でお世話になっていた院に配属されることになりました。最初は患者様の名前を覚えることと自分を認知してもらうところから始まりました。少しずつ環境に慣れていき、日々患者様に施術をしていくうちに患者様に、「楽になったよ、ありがとう!」と言われる時はとても嬉しかったですし、もっともっとこれから頑張ろうと思いました。 現状に満足せずこれからも日々努力をし続けて技術を磨き、最高の施術を提供できるように頑張っていきます。
-
気軽に通いやすく明るい元気な院
- 江戸 悠真(えど ゆうま)
-
出身地:北海道札幌市
血液型:A型
趣味・特技:古着、サウナ
資格:アスレティックトレーナー - 地域のみなさまへ皆様のお身体のお悩みご相談下さい、日常生活での辛い日々が続いている方はそれを緩和していきます!困っている方はぜひご相談ください!皆様のご来院おまちしております!
施術家になるまでの自分小学生の頃からスポーツをやっていてスポーツ関係の仕事につきたいと思い、将来の夢で施術家になると決めていました。鍼灸や柔道整復師の資格も欲しいと思ってはいたのですが、トレーナーの資格も欲しくトレーナーの資格取れる専門学校に通い始め無事トレーナーの資格を取ることができました。サッカーとバスケをやっていたのですがその中で怪我につながるようなプレーが頻繁に起き、プロの選手でも怪我で悩まされる選手も多くいたので、学生や自分の身近な人たちの身体の悩みを緩和できるように筋肉の名前や構造働きなどをしっかりと学び、トレーナーで学んだことを発揮出せるようにしっかりと会話技術も向上し、コミュニティケーションも大切にし、色んなことを積極的にやるということを行動してきました。実習などでトレーナー活動をしながらアルバイトでシフト作成など人と関わる場面が多かったのでいろんな話題を出すのが得意です。元々明るい性格なので誰でも気軽に話せるような空気作りをしています。高校生の時は部活に専念をしていてバスケ部をやっていました。バイトをしながら部活をやっていて忙しい日々が続いていたのですが、それが楽しく高校生活はとても充実していました。専門学生になってからは資格を取ることを意識ししっかり勉学に励み、人のためになるようなことをしていきました。
新人・修行時代の自分マッサージをするときに指がとても痛くなることがとても気になっていて、それが原因で力が弱くなったり指だけの押し方になっていたので尖ったような痛さがあり、手順はもちろん技術面での覚えることがたくさんあり、学ぶべきことがとても多く先輩に聞いたりマッサージを受けてもらってうまく行く場所とうまくいかない場所が明確に出てきて、練習をしたくても指が痛くて自分の思うようにできないことがありとても苦しい思いを2ヶ月間続きました。ですが、だんだん指が慣れてきて痛みから痺れに変わり自分の指の痛さよりも受けてる側の感覚がだんだんわからなくなってきました。アドバイスなどをいろんな先生から聞いていろんな先生に技術を見ていただきました。技術だけじゃなく、接遇面や話し方内容など徹底的に練習し、まだまだできてない場面が多々あるのでしっかり勉強やいろんな先生方に見ていただき患者様に頼られるような存在の先生になることを目標にしていきました。いまもまだ修行をして、まだ新人なのでこれからもたくさん学んでいき、患者様のニーズに合わせた施術や相談などをしっかりと受け、患者様の身体のお悩みををいち早く緩和できるように先輩の先生方に質問したり、技術面などもしっかり見てもらい自分の価値をもっと高めていきます。
-
患者様一人一人に合った施術を
- 森本 優太(もりもと ゆうた)
-
出身地:東京都足立区
血液型:B型
趣味・特技:料理、プラモデル作り
資格:柔道整復師、鍼師、灸師 - 地域のみなさまへ私は患者様の痛みや辛さを取る、ということを至上命題にこの仕事をしています。お体で何か辛いことがあったり、分からないことがあれば様子見や諦めるといった事をせず、是非当院にご来院頂き、私に施術させて頂ければ、と思います。
施術家になるまでの自分自分は将来の事を考えた際、施術家になる事は最初の夢ではなく、一番最初の夢は料理人になる事でした。しかし、高校2年生から3年生辺りで料理人になるにあたって大きな壁にぶつかりました。それは、盛り付けが壊滅的に下手だった事です。そこで当時の自分は考えました。『料理人はやめて、違う事をしよう』と。ですが、自分には大学に行って勉強したい事は無く、所謂サラリーマン、と言われる職業にどの様な事をしているかのイメージが全く湧きませんでした。その際に候補として出てきたのが保育士、介護士、そして接骨院の先生でした。保育士と介護士は自分の性格をよく知っている母親から、「お前は向いてない」と言われたため、それならば接骨院の先生だ!と思い、整骨院の先生になる為に色々と資格や学校の事、当時通院していた接骨院の話を聞き、専門学校へと進路を決めました。専門学校の1年生では特に接骨院や整形外科でバイトをする事もなく、薬の種類を少し知りたかった為にドラッグストアでバイトをしていました。自分の施術家としての人生が大きく変わったのは、専門学校2年生の秋、20歳の時でした。昔、通院していた接骨院の先生が開業した、という話を聞いたとともに、その先生が「もし良ければ見学においで」と言ってくださったのです。その後、その先生の接骨院を見学させて頂き、何回か行くうちにその先生のお父様に気に入って頂き、「弟子入りを認めよう」と言ってもらえました。正直、当時の自分は「弟子入りって何のこと・・・?まあとりあえず気に入られたならいいか」程度に考えていました。弟子入り後については後述させて頂きたいと思っております。その後、無事成績ぎりぎりで学校を卒業し、資格試験にもあと1点落としたら落第、というぎりぎりで国家資格に合格しました(当時の学校の先生は一人を除いて『なんでお前が受かったんだ』という目をされていました)。当時3年生の中ごろには「資格を取ったらもう学校で勉強なんかしない!!」と強い気持ちでいましたが、師匠から鍼灸師の資格も取れ、と言われたため、半分渋々といった感じで柔道整復師の資格を取得後に鍼灸師の学校に通いました。ですが、鍼灸を勉強していくうちに、『東洋医学ってこんなに面白いのか!』と実感し、師匠には心の中でのみ感謝をしました。無事鍼灸師の学校も卒業、資格試験にも合格し、鍼灸師の国家資格を手にする事ができました。その後なんやかんやありまして、当時働いていた師匠と先生の下を飛び出し、ケイズグループに再就職をし、その後も2回程異動をし、現在、当院で働かせて頂いております。
新人・修行時代の自分新人、修行時代の自分はとにかくいい意味でも悪い意味でも『馬鹿真面目』と言われ、褒められたり怒られたりしていました。自分で考える、という事があまり出来ず、指示されたことはしっかり遂行するが、なにかハプニングが起きたり、柔軟性を求められる仕事には向かない性格でした。当時の職場は勉強する事が多くあり、師匠や院長先生の技術などに圧倒され、自分に自信が持てない時期でもありました。そんな最中、当時の環境をもう耐えることが出来ず、師匠や当時の院長先生の元を飛び出し今のケイズグループに入社しました。入社するに当たって自分で決めていたことは、『もっと自分を出していこう』という事でした。周りの意見はしっかりと聞き入れ、ただし自分が認められないこと、納得しないことは飲み込まずしっかり意見しよう、という信念を持ち、施術に当たろう、と決心しました。自分の意見と他のスタッフや院長と意見が違うことも多々ありましたが、そこをしっかりと伝えることで腹の底から話せる環境を自分自身では作れたと思っています。(他の人がどう思っているかはわかりませんが・・・)この業界に入って10年が経ちましたが、自信ではまだやっと卵の殻が取れたかな?くらいだと思っています。今後も自分に自信は持ちながらも驕らず、修行時代に苦しんで学んだ医療の知識、技術だけではなく、患者様との接し方を更に磨いて皆様に安心感を与えられる施術家になれれば、と思っています。